殺・死

殺す。

一番嫌いな言葉。
自分がまだ小学生くらいの頃、普通に友達に言ってた。
今思うと、最低な人間だと思う。

以前、ある店で中学生がこんな会話をしていた。
「うお!!出た!!死ねぇや!!」
「久しぶり?」
この二人はそのまま仲良さそうに普通に会話し続けていた。
死ね。
会話の中で当然のような感じで使われている。
とても重い言葉。
それを簡単にしかも普通に使う…
信じられなかった。

今はそんな時代だから…
それは関係ない。
昔であろうと今であろうと、死という言葉の重大さは変わらないはず。
それだけ現代の若者は死というものを楽観視しているということだろうか。
自分も高校生という若者だが…

原爆。原子爆弾ピカドン
若い人々は恐ろしさを知りません。
信じれないことですが、その存在自体も知らないという人がいる。
   ゲンバク?何それ?
   爆弾なの?広島と長崎に落ちた?今は大都会じゃん?
   日本しか落ちたことがないの?知らないし…
ふざけるなと言いたい。
東京大空襲、沖縄戦、硫黄島作戦、サイパン島陥落。
何も知らないであろう。
一瞬のうちに何十万人という人々の命が消えた原爆。
何百万、何千万、何億もの人々が命を絶つ戦争。

戦争を知らない子供たち。
それを伝えていくのが大人の使命。
しかし、その大人さえも戦争を知らない。

そうやって死という存在が薄れていってしまっているのだろうか。
国語、算数、社会、理科。
それよりも、もっと大切なことを教えていくべきでもあると思う。