発言力のない人に発言力をつけなかったのはなぜか

このブログの過去の記事を見て、自分が哀れに思えてきたのですが
なんてことを書いてるんだ俺はw
去年の4月とか今年の3月あたりは変態並みな記事ですね



俺は世間で言われる「発言力のない人」だ
これは俺が馬鹿だから、という単純に決め付けるのはあれだ

発言力がないと行動力、企画力などの力も欠乏しているという

ここで言いたいのは
意見がないことと発言力がないということは同じことか
ということ

自分で言うのもあれだが、俺はそれなりに自分の意見は持っていると思う
でもそれを人に伝える、つまり発言力がないのだ
それはなぜかを考えてみたが、精神的なことも関係してるのではないかと
正直な気持ちを言うと、人に俺の意見を伝えることが怖いのだ
俺は周りの人々から馬鹿にされながら育ってきたし今でも俺の言うことは否定される
俺が言う言葉に誰も耳を傾けてないと思うようになったのかな
これが発言力がないということに繋がるのだろう

育ってきた環境がこうさせたのか
と、環境のせいにするのが自己中心的なのだが・・・今はこれは関係ないか

俺が編入をしようというと、そんなに学歴重視したいのと言われ否定され
水泳をしていたころは、水泳する人ってすぐ自慢するなどと根も葉もないことをいい馬鹿にされ
俺が生きてきたこと自体が否定されたことも2度あった
そうやって否定され馬鹿にされても
「だよねーwww」
とかいってネタとして笑ってきた
本心はかなり怒ってたりもしてたけど
そこで怒ったら友達をなくすことになるかもしれない
裏切られたくないという、俺の弱い心がそうさせたのかな

どうしてこんなに俺の心は弱くなったのかな
高校生活はいろいろな経験ができてよかった
その反面、人に裏切られる怖さを知り・・・
つまり高校に入る前までは俺はかなりの子供だったのだと思う
高校で世の中の一部を知り、それが怖くなって逃げているのだろう
俺が高校で覚えたことは現実逃避ということだったのか

こう考えると、あの高校に進学したのは間違いだったのか
変な学歴コンプレックスが生まれた
俺が馬鹿だから他人は俺を信じないし自分よりも低い人間として俺を見て俺を否定する
これはすごくネガティブで自己中心的な意見だけどwwww

人はぶつかり合って分かり合うというけど俺はぶつかり合うことで決別すると思ってたんだな
だから俺が意見を言わなければ、発言しなければ何も起きない
ただ言われ続けていれば他人を傷付けることはないだろうと思ってた
他人を傷付けるくらいなら俺が嫌な気持ちになったほうがいい
と考えると本当に俺は友達を失いたくなかったのだろうなと思う
今でもそう思うけど
数少ない友人をなくしたくない!これは死ぬまで強く言い続けると思う

話は戻し
確かにあの高校で出会った人から俺を肯定してくれた人はいなかったと思う
一番の友人も俺を馬鹿にする目で見ていると思う、話をするかぎりでは
これは何?被害妄想?

俺って被害妄想だな、それとも自己嫌悪に陥ってるだけ?

そうやって被害妄想になってしまったのはなぜか?
環境?
・・・また環境のせいにしようとする俺が嫌いだ
って、これは自己嫌悪か?

高校に入り自分の未熟さを知り自分を嫌いになり
好きな人関連で他人から騙されて人が嫌いになり
2年の担任が3年次に俺を虐めてると思い被害妄想になり
・・・なんという自己中心的な俺
そんな自己中な自分が嫌いだ
そうやって自己中と決め付ける自分が嫌いだ
自分を嫌う自分が嫌いだ
嫌いだ

これは重度の自己嫌悪
こうやって自分が自己嫌悪に陥ってると決め付ける自分が嫌いだ
そして何でもかんでも決め付ける自分が嫌いだ



どうすれば自分を好きになれるのかな
自分を好きにならなければ他人を好きになれないし友達もできない
友達を信じてないから俺は発言をしようとしない
発言しなくなるから人は俺の言葉に耳を傾けない

連鎖って怖いな

何の解決もせずに今日のブログは終了ー