親に生かされている俺

「自分のことを一番理解しているのは親だ」
ということを今日は書きたかったわけなんです
そこでふと気付いたこと
様々な事情により親が存在しない人々のこと

話は遡って昨日
いろいろと父親に報告することがあったので電話を少々
編入のことを中心にそれなりに今自分が考えていることを話した
今年度の編入試験は合格できないかもしれない
もし来年度、受けることがあればそのために必要なお金は自分で用意する
自分で稼いで得たお金を使わないと編入試験にも合格できないと思うと
いろいろ伝えてみた
そして最後に「お前も成長したな」という一言

更に話は遡って先日のこと
高校時代の友人と電話をしていて
「やっぱり、親って俺らのことをそれなりにわかっているよなー」
という、その友人の発言



俺は一人で生きていけないから
親がいなかったら、今の俺はいない
今の俺に俺自身が納得していないとしても俺は俺だ

今の自分が生きているのは親のおかげであると



そうして考えてみると、もし親がいなければ・・・

母子家庭などという状況の家族も何人か見てきた
でも生きていた
しっかりと

両親がいないという孤児の人も見てきた
でも生きていた
しっかりと

どうして?
・・・生きたいと思う、それだけで人は生きることができるのか
その生きる意志をなくさない限り、人は生きることができるのか

「夢はやーめたと言わない限り、いつまでも心にある」
「夢はどこにも逃げない、君に見つけられるのをずっと待っているのだ」
生きることも同じことなのか



ただ生きていてほしいだけなのに
何も俺は望まないのに・・・
そんなことも伝えられなかったあの日

俺は生きる意志があるのだろうか
・・・
生かされているとしか思えない
いや・・・人は皆、生かされている存在なのかもしれない
だが、生きることを拒否する人がいる
なぜ?
死ぬことが怖くないなんてあるわけない
嫌われること、殴られること、金を盗られること
どんなことだろうが、死ぬより怖いものなんてない

そうはいっても人は死ぬべき存在
いつかは死んでしまうのだ
だけどその死を自らの手によって実行してしまうのは・・・



人が死んで辿り着く地は、無だ