学歴が自分や社会を変えるとは?

お金を稼いだことってないんですよね
アルバイトといっても実際は誰でもできるような職種なわけですよ
もちろん面接に合格とかしなければいけないわけですが
それは資格がどうこうとかいう問題じゃないですよね
英検準1級以上とか、TOEIC600点以上とか、最終学歴MARCH以上とか
そんなアルバイトもあるかもしれないですけど少ないのでは?知りませんけど

と考えると頭で考えて稼ぐのではなく、体を動かして稼いでるわけです
頭を使って稼ぐ方法とは何かです
お金を動かすような存在、なのかな
会社を媒体にしてお金を貰うのではなくて、自らが資本家などからお金を得る人たち
実業家ってことですね

そうした立場に高学歴な人が多いのはなぜか?
かの豊臣秀吉は農民という身分から天下人になったという
そうした低い身分からのし上がった人って歴史的にも稀だと思うのですよね
つまり、低学歴な人が有名企業の社長になるのは難しいことなのです
(何か特別な力があれば別ですが、天才ハッカーだとか)
それはなぜか、です
やはり環境なのではないのか、と思う
何らかの才能があったとしても努力をしなければ開花されないという
そこに付随してくるのが環境、提供される場だと思うのです
才能がいくらあっても努力をしなければ意味がない
そして努力をすることができる環境でないといけない

昔、こんな人がいました
高校卒業直前のことです
彼はある才能が認められて校長が有名大学へ彼を推薦することにしました
しかし、彼の家は貧乏でとても大学に行けるような状況ではなかったのです
しかも、ある会社に既に内定をもらっているという
内定を断り、アルバイトでもしながら大学に通うという余裕なんてない
彼は校長の推薦を断りました

金がなくても気持ちがあればなんでもできる!
そんなのはお金がある人や、成功者の言い分だと思うのです
仮に、先の彼が仕事をしながら大学へ通ったとします
大学を卒業後、そのある才能が開花できる保証なんてない
もし、お金持ちの家であればなんとかなるかもしれない
後ろを振り向かずに前へ突き進むことは何らかの保証があるからではないのか
保証がなくても前に突き進む人は凄いと思う
お金が絡むと一般では正論になり得ることも別になってしまう
結局は生きていくためにはお金も必要なのだろうな

話がそれましたが
そうして多くのお金を使わなければ大学に通うことはできない
受験生は大学を選ぶ、つまり環境を選ぶ
自分に合った大学を選ぶという、当然ながら頭の良い人は高偏差値の大学を選ぶ
そのような環境化ではお互いを刺激し合い、自ら学ぼうとする人が多い
この互いの刺激というのが自らを高める要素でもあると思う

大学全入時代と言われる
何も目的がなく、大学に通っておけばいいという学生が増えてきている昨今
そうした中でお互いを刺激し合うなんてことは数少なくなっているのだろうか
これから10年?20年後、学歴に左右されない社会になっていくのかもしれない
それイコール、低俗な社会にならなければいいと願うばかり

今は社会に影響を及ぼすような活気のいい学生がいなくて
世間はテレビ、若い世代はネット、全体に政府などの場が強い力を持っていて・・・
集合知というものが社会を変えるというのも事実なのかなとも思います
それが多数決の集合知、間違いであったとしてもです
どうみても法に触れることなどという明らかなものは別ですけど
ルールを守って正しく戦いましょう、ということですかね



以上、低学歴の私が話す、負け犬の遠吠えでした