文系の私が「青少年ネット規制法案」を考える

まず最初に一言
人権擁護法案とか児童ポルノ規制とか言ってるけど悪いものは悪いのだから当然」
「ネットで人権擁護法案のことを調べたけど大げさに書きすぎだろ」
などとよく言われます

私は法律を学びたいとは思ってます
ただそれは、法律で悪い人間を裁きたい!とかではないのです
法律って馬鹿だなぁ、という面白さから学びたいと言ってるわけです
以前、法学部の学生がこんなことを言ってました
「法律だと親だろうが何だろうが公平に裁くことができる」
?公平って何よ
文学部の私には詳しくわかりません
ただ一つわかることは、人を裁くことにに答えなんてないということ
答えがないということは、公平とか不公平とか、そうゆうこともないと思うのです
実際に、裁判で不公平な判決だと思ったから控訴やら上告をするわけでしょ

話が脱線しました
最初に戻ります
「悪いものは悪い」と言いますが、全ての人間がそうだと思っているわけではありません
例えば「殺人」
多くの人は「殺人」は悪いことだとわかっていますが、そうでない人もいると思います
自分以外の家族全員が殺されてしまった、私が犯人を殺すことは悪くない、当然だ
そう思う人もきっといるはず
といっても、自分の手で人を殺めてはいけません
だったら裁判で決着をつけよう!

「悪いものを悪い」なんてハッキリと言うには人ぞれぞれだと思うのです
まぁ、人それぞれという自分勝手な理由で殺人をされたら困るわけで
そこで法律が存在するのですよね

何だかんだ言っても、法律も裁判も必要なのです
ただ、明らかに法律に適用できて、明らかに裁判で正確な判決が出せればいいのですが
なかなかそうはいかないものですよね
その一つにインターネットというものがあるわけです

インターネットを規制させようとする話をよく聞くようになりました
これには原因があるわけです
最近、小・中学生などの若い子供たちがインターネット上で多くのトラブルを起こしてます
そうした状況になり、以前から囁かれている「無法地帯」という声が大きくなってきたのです
世論です
厄介ですね、インターネットに詳しくない人間が「無法地帯」という言葉を使いますから
勘違いしないように
「無法地帯」というよりむしろ捕まりやすい場、それがインターネットです

ある小学校でいじめが行われたとします
被害者が首を縦に振らない限り、加害者の子供たちには何の罰も与えられません
つまり証拠がないわけです
もし、ネット上にいじめの実態がブログなどで公開されたら・・・
これが証拠になります
下手をすれば、学校内でいじめが発覚していなくともIPアドレスなどから加害者を特定
いじめ発覚となります

少しわかりにくい例でした
さて、話を本題に



「青少年ネット規制法案」
どうゆうことなのかを少しばかりまとめてみました
参考は↓のサイトより
日本の子供たちからインターネットが消える日 - osakana.factory
いつも参考になってますです、どうもです m(_ _)m

青少年健全育成推進委員会という組織によってネット上の全サイトを有害か無害か判断
ここみたいな小さなブログも含めて全ての管理者はフィルタリングの対応をしておけ
全てのISP、ASP事業者は命令に従わなかったら罰則
フィルタリングソフトウェアの強制インストール

青少年健全育成推進委員会という方々が勝手に判断基準を決めちゃうそうです
判断基準についてはめちゃくちゃになっちゃうかもです
怖いですね
そんなことよりも、この委員会が裏で動いたりしたら個人だけでなく企業もヤバイですよ
日本のネット終了のお知らせ

臭いものには蓋をしろ精神、ですか
蓋をする前にまだやることはあるでしょう?
なんで後先何も考えずに蓋をしようとするのでしょうかね
これだから法律って馬鹿だと思う
それしか考えない政治家も馬鹿すぎる(金しか興味ないので当然といえば当然か・・・)

教育
子供たちにしっかりとしたインターネット教育をさせることを先に考えましょうよ
「Word」とか「Excel」とか、そんなことより大切なことがあるでしょう?
これは道徳とか秩序とかそうゆう問題でしょ
政府が得意な分野じゃないですか、「総合的な学習」とかアホな教科があるでしょう



ちなみにこちらの法案
テレビなどのメディアでは報道されていません
理由は簡単です
自分たちにとって都合がいいから
メディアにとってインターネットは邪魔な存在でしかないのです
そんなことは今更言うほどのことでもないので省略します

昔の話
天武天皇が行った『帝紀』の修史事業
それは天武天皇にとって「正しい」歴史編纂であった
つまり、天武天皇にとって「都合のいい」歴史編纂であったという
天武天皇は稗田阿礼にその『帝紀』を暗誦させた
それを太安万侶が書き記して編纂したもの、それが『古事記』である

都合の悪いことを隠すことなんて歴史上ではよくあること
だからこそ厳密な史料批判が求められるわけで・・・
また話が脱線しかけた

結局、世の中は権力・力を持つ人間でしか正しいことはわからないということなのね
その力を得るために人間は努力をするわけでもあるのだけども