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むやみに「死」という言葉を使う人間の愚かさ

書こうか書かまいか、悩んだあげく書くことに。誰が見てるわけでもなしに・・・でも自分の書く文章には責任をもちます。



私が幼稚園の年中組のとき、母方の祖母が亡くなった。当たり前ですが当時の私には「死」という概念がなかったのでしょう、霊安室で眠っている祖母が起きないことをなぜ?なぜ?と問いただしていました。親戚の葬儀に参列したのはそれ以来なく、本日二度目を。

あまり私の記憶にはない親戚であったものの、お別れの儀でその顔を見たとき、人の「死」というものを肌で感じました。息をせず、顔も青白く・・・思わず目を背けてしまうほどでした。遺族代表者の挨拶を聞き、それまで耐えていた涙が溢れ出そうに。

もしも、私たちが考える「死」というものが「死」でなかったら。つまり、一般的に定義されている「死」というものが、実はその人がまだ生きているというものであれば・・・細長い棺に収められ、暗く小さな場所で火葬される。怖いです。

でも、人はいずれ定義された「死」を迎えることになる。そうなるまでに、私は自分自身が「死」を受け入れられるくらい精一杯生きてみたい。

「死」の重さ、辛さ、悲しさ。改めて感じることのできた一日でした。