『アメリカ、家族のいる風景』を観てみたよ!

タイトルからして、明らかに家族映画っぽいです。それもアメリカの家族。でも原題は『Don’t Come Knocking』、「ほっといってくれ!」ってことですね。うーん、気になる。邦題と原題の差が気になる。で、観てみた。

主人公のハワードは映画俳優。そのハワード、西部劇の映画の撮影中に馬に乗って逃げ出し・・・映画のスタッフ陣は大慌てで彼を追うのですが、ハワードはなんとか逃げ切り母親の住む故郷に戻ります。どうやら30年ぶりに実の母親に会いにいったというんですね、普通に会いにいけよって感じですが。

故郷にて母親から「お前には子どもがいるんだよ」とか言われてハワード混乱。どうやら数十年前にロケで寄った街の女性をやり逃げしたそうで、なんてやつだ。で、自分に子どもがいることを知ったハワードはその子に会いにいくんです。

ハワードはその女性と会い、子どもアールにも会うのですが、完全に拒絶されて涙目に。そりゃそうでしょ、今までほったらかしにしていて何十年ぶりに会いにきた親父の顔なんて見たくないわな。さらには、自分の母親の骨壺を持った女の子スカイも登場、スカイもハワードの子どもらしいんですね。てか、どんだけやり逃げしてんだよ、ハワードよ。でも、スカイはハワードに会いたかったという、まぁハワードが父親だって知ってたしね。対するアールは完全にハワードを邪魔者扱い、急に父親宣言されても困るっつぅの。

ハワードは自分が何をしたいのか、どうしたいのかということをアールやスカイと接していくなかで見つけていこうとするって話。

ハワードは要するに中二病なんですよ。「俺は何か大事なものを失ってきた気がする・・・キリッ」みたいなこと言ってるんです。それで、30年ぶりに母親に会いにいく。他に会ってくれる人なんていないんですよ、唯一の肉親が母親だったとのことだけ。息子がいると聞いて罪の意識を感じて会いにいこうとする。なんという都合の良い男だ。

実際に、何年も会っていない両親がいきなり現れて「俺はお前の親だ」とか言われたらどうなんでしょうね。僕もアールと同じような態度をするんだろうね。その人たちを自分の親であると認めて信頼できる相手にすることなんてできるのかな。俺は現実逃避してしまいそうな気がする。うーん、わかんね。