『サロゲート』を観てみたよ!

新宿ピカデリーで観てきました。サロゲートと呼ばれる、自分の脳と一体化した身代わりロボットに生活全般を任せているという社会を描く近未来物語です。ロボットが自分の思考で行動するというものではなく、あくまでも人間、操作者がいるというところが味噌。操作者のオペレーターは自宅で寝ているだけ、というまさにニート大喜びな近未来です。

ロボットが人間社会を支配するというわけではないのですが、人間同士のコミュニケーションは破壊されて夫婦なのにサロゲート同士で会話、生活をしています。異常としか思えない。だから反対勢力が存在しているだろう、と容易に想像出来るわけですが、この作品ではそれが以外な方向へと向かっていって、そこがまた面白い。

僕らはどうして衣服や装飾品で自分を飾るのだろうか。人類学では、人間は環境に対応するため、実用的な意味で衣服を着るわけではないと考えられています。衣服や装飾品は、自己の権威などを表すためなのです。現代では、高級ブランドのスーツを着たり、高級ブランドの腕時計、生活感のある髪型、万人に好かれるような整った顔など、社会はそうしたものを求めているように思えます。女性も美しくあるために日々の努力を欠かしません。それは男性には想像できないようなつらく大変なものです。

しかし人は老いてしまう。どうしても若き自分を思い出し、そして絶望する。この映画は、新たな自分をサロゲートで表現するという意味合いも1つにもっているのではないのかと思います。でも僕が思うに、老化は絶対的なものであると思うし、身代わりロボットといえども決して自分ではありません。どんな自分であっても受け入れなければならないし、受け入れればそれで開く道や希望も見えてくると思うのです。老いた自分にだって魅力を見つけることだってできます。

映画内で、サロゲートが人間でいう麻薬みたいなものを楽しんでいるシーンがあります。たとえ自分をロボットで操作していたとしても、そうゆうのはなくならないのだろうなぁと思うと人間はどこまでも欲を、何かを満たそうとしているのでしょうかね。