妹「南スーダン共和国ってなにそれ?おいしいの?」

テレビ「7月9日南スーダン共和国が独立し、日本国政府は同日、同国を承認しました」
妹「ヘ(゚д゚)ノ ナニコレ?」
兄「新たな国家の誕生だな」
妹「( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー で、スーダンって(゚Д゚≡゚Д゚)ドコドコ?」
兄「(顔文字うぜぇ…)北アフリカのエジプトの南に位置する、人口約3000万のアフリカ一の面積を持っていた国家だ」
妹「その南側が独立をしたってことだよね?どうして独立することになったの?」
兄「よし、じゃあ少しお勉強をしよう」

植民地化への経緯

兄「古代史の話は長くなるから、エジプトとイギリスによる植民地時代から始めるぞ。最初、1821年にエジプトがスーダンに侵攻して、16世紀初頭から続いていたフンジ王国を征服、エジプトに統合されたんだ」
妹「ふんじ?」
兄「フンジ人がエチオピアとの国境に近いセンナールという地に王国を建設したのだけど、この話もスルーで。興味あったらググってみてくれ。っで、エジプトに統合されたわけだけど、エジプトの支配は重税やらにスーダンの人々は憤慨することになる」
妹「消費税50%にします!っていう感じなのかな」
兄「まぁそんな感じ。すると、1880年代にMuhammad Ahmadという人が自分をマフディと宣言し、ここにマフディの反乱が始まったんだ」
妹「マフディってイスラム的には救世主って意味だよね。知ってる!」
兄「そうそう。そしてこのマフディの反乱は結果的にマフディが勝利して、スーダンは彼らによって支配されることになるんだ。エジプトと、当時エジプトの統制下にあったイギリスは手を引っ込めた。でも、Muhammad Ahmadはすぐに死んじゃうんだ。その後、後継者によって引き継がれて聖戦を続けることになるのだけど、度重なる戦争にお金がなくなってきて…」
妹「また重税ってこと?」
兄「その通り。国民の不満がどんどん高まっていったんだ。そしてこれを機に、イギリス・エジプト連合軍は再びスーダンに侵攻。圧倒的な火力でマフディ軍を蹴散らし、最終的にイギリスが実質的にスーダンを植民地化することになる」
妹「なるほど・・・エジプトの支配もマフディの支配も、どちらも国民を怒らせちゃったからこういう結果になったって感じだね」

イギリスによる南北分断統治政策

兄「っで、厄介なのがこれ。スーダンの南北分断」
妹「ん?イギリスはスーダン全土を実質上支配していたのにどうして南北に分ける必要があったの?」
兄「植民地政策では常套手段だったんだ。南北に分割することで、イギリス本国に向けられる目をそらさせようとしたわけ」
妹「なんだか嫌なやり方…」
兄「まぁわかるように、これが現代まで続くスーダンの南北問題の原因なわけだ。イスラム色の強い北部に対抗させて、南部では英語を公用語にしてアラビア語の使用を禁止させたり、キリスト教を布教したりとイギリスは南部政策を行っていった。そうなると、北部と南部の違いはあからさまになってくるわけ」
妹「完全にイギリスに遊ばれてる…なんだかなぁ」

第二次世界大戦後の南北統一と独立

兄「WW?後、スーダンもその他多くの国と同じように独立するのだけど、独立以前の自治政府の時点から北部色の強いものになっていたんだ」
妹「どうして北部が主導になってるの?」
兄「さっきも言ったように、北部と南部は大きく異なる性格を持っていてそれらが一緒になることはなかなか難しいんだ。英語が公用語とされていた南部でもアラビア語が公用語とされるようになるんだけど、今まで英語で勉強してきた人たちが急にその変化に対応できるわけないじゃん?結果、北部が権力を握ってしまったんだ」
妹「要するに、イギリスは『南北?知らんがな。勝手に独立して勝手に内戦してくれよ。俺、関わりたくねーし(ホジ』みたいな感じだったんだろうね。性格悪いなー」
兄「まぁそう言うなって。これも歴史なんだから。話を元に戻すと、そうした北部の支配には当然だけど南部の住民が怒っちゃうんだな。そして独立前年の1955年に南北内戦が始まったんだ。これが俗にいう、第一次内戦」
妹「第一次、ってことはまたあるってことだよね?」
兄「そう。第一次内戦は1972年にアディスアベバ合意の署名によって、一応は終了することになる」
妹「あびぶばべば?」
兄「アディスアベバ。これで南部スーダンに大幅な自治権を与えることになったんだ」
妹「じゃあもう問題解決じゃん。めでたしめでたし」
兄「そうもいかないんだな、これが」

第二次スーダン内戦と南部スーダンの独立

兄「ヌメイリ政権。これが第二次内戦の引き金を引いたんだ」
妹「なんかエッチな名前だね」
兄「( ^ω^)・・・」
妹「あ、続けて」
兄「1970年代、南部にて油田が多く発見されたんだ。それに目を付けたヌメイリ政権は南部の自治権を取り上げ、イスラムの法体系であるシャリーアを南部に導入。わかると思うけど、南部はこれに大反発するわけ」
妹「そりゃそうだよ!ひどすぎるよ!」
兄「そんな中、南部の非アラブ系から登場してきたのが反政府組織スーダン人民解放軍、いわゆるSPLAだ。そして1989年に新たに政権を握ったバシールは、とにかく独裁者として動きまくった。人種差別の煽動、報道を抑圧、さらには議会まで解散させて全ての政党や労働組合を禁止させたんだ」
妹「なんかすごい強気だね」
兄「というのも、バシールはイラクのフセインや、リビアのカダフィと友好関係を結んだりしてたからなんだ」
妹「話題のあの人たちが後ろ盾だなんて…」
兄「でもそんな話題の彼らも次第に崩壊していったわけで、バシールもこりゃやべぇとか思ったんだ。そして、アメリカやその他多くの国の仲介や協力を経て、2005年についに南北包括和平合意が成立。内戦開始から20年以上、南北内戦がここに終結したんだ。この合意は南北の暫定統一政権、南部自治政府の設置、南部独立の住民投票の実施などを含んでいた」
妹「あ!今回の南スーダン共和国の独立はその住民投票によって決まったことなんだね!」
兄「今年の1月に南部スーダンの分離独立を求める住民投票が行われたんだ。結果、約99%が独立を支持した。そして7月9日、南スーダン共和国としての第一歩を歩み始めたってことだ」
妹「今度こそ、めでたしめでたしだね!」
兄「お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな」
妹「お兄ちゃん怖い・・・」

多くの課題

兄「まずは石油問題。南部に油田が多く発見されたというのは言ったけど、実はこの石油のパイプラインは北部にしかないんだ。経済的にまだまだ貧しい国家だから南北どちらにとっても石油ってのは貴重な資源なんだ」
妹「え?じゃあ、全然問題解決してないじゃん」
兄「さらに、南部の前国民が独立に賛成したわけじゃないってことだ。南部に住む人々の中にはもちろんイスラム教徒だっているし、黒人だっている。そうした人たちに一部の南部の人々が反感を持つのもある意味仕方ないんだ」
妹「宗教、差別問題までも・・・」
兄「北部にも問題はあるぞ。バシール政権は北部においてシャリーアを強化しようとしている。南部出身の非アラブ系の人も少なからず住んでいる北部でそんなことをしたら・・・」
妹「また反乱が起きちゃうかも・・・」
兄「まだまだある。アビエイ問題だ。アビエイはスーダンの南北境界線に位置する地域で、スーダンの全石油生産量の4分の1を占めている。この取り決めが難航していて、戦闘によって多くの死者も出ている」
妹「・・・」
兄「そしてダルフール紛争ダルフールスーダン西部の地方で、スーダン政府らが支持するアラブ系と非アラブ系の戦闘が今も尚続いている。この地方の歴史的経緯は省くけど、双方がジェノサイドを繰り広げ、今までに何十万人という人々が死に、何百万人もの人々が家を追われたんだ」
妹「もうやだ・・・」
兄「独立を果たしてもまだまだ問題は山積みなんだ。これから、なんだ。東ティモールも独立後は政情が不安定になったし、最近では革命の起こったチュニジアやエジプトも」
妹「どうすればいいの?私たちに何かできることはないの?」
兄「今はまだわからない、としか言えないんだ。でもこうして今世界に何が起こっているのか、それを知ることだけでも何かしらの力になるんだ。俺たちに何かできるわけではないけど、こうしたことを知らないというのは何も前に進むことはできないんだ」
妹「そう、だね。1人1人が考えていかなきゃ、何も解決でないよね!」

兄「だな。さて、話も一段落ついたし・・・」
妹「もっともっと教えてよ!ダルフール紛争のこととか!」
兄「もう疲れたからいいだろ・・・また今度な」
妹「そうやって問題を先延ばしするからいけないんだよ!しっかりしてよ!」
兄「(うわー、うぜー)」

終わりに

ということで、南スーダン共和国の独立記念ということでちょっと書いてみました。最後にも言っているように、まだまだ問題は山積みなんです。
反政府勢力はSPLAだけではなく、南部にはウガンダ系民兵組織の神の抵抗軍(LRA)や、ダルフール反政府勢力の正義と平等運動(JEM)などなどたくさんいます。そして、それらによって民間人を含む多くの人々が殺されたり、拉致されたりしています。各地に地雷が眠っており、国内避難民も多数、各地で繰り広げられる武力闘争などなど。
独立は終わりではなく、始まりである。これからどのような道を歩むことにあるのか、注目していきたいと思います。