高校教師に”人生負け組”と罵倒された僕が大学に入学して学んだこと

本格的にサーバ運用の勉強したいなぁとか思ってます。おはこんばんちわなら。

先日の話ですが、高校の同級生と
「にいな君って変わったよねー」
「えっ・・・」
「なんだか明るくなったっていうか」
「あ、いやぁwww俺ってそんなにリア充?www」
「それは知らん」
ということがありまして。真面目な話、確かに変わったというか、ようやく他の人達に追いつけたような気はしてます。大学という場が自分を成長させてくれたのか、何かを変えさせてくれたのだろうなぁと。ということで、何がということでなのかはよくわからないけど、大学入学以降の自分を振り返って、大学で得たものをちょっと書いてみたいと思います。


大学入学から現在まで

  • 18歳:歴史学科専攻に大学入学するも、次第に歴史学に疑問を持ち始めて他学部編入を志す。
  • 19歳:本格的な編入試験対策。文化人類学など、多様な学問に出会う。冬、無事に合格。
  • 20歳:2度目の大学入学式。フィールドワークで初海外。次第に留学を考えるようになる。
  • 21歳:大学を休学して、10ヶ月間のアイルランド語学留学。
  • 22歳:とりあえず卒論と院試に向けて勉強中。でもちょっと鬱気味。


大学で学んだこと

  1. 人との出会いは確実に自分を成長させる
  2. 食わず嫌いをせずに多くの物を吸収する
  3. 人生適当でもなんとかなる
  4. とにかく挑戦し続ける

人との出会いは確実に自分を成長させる

他人の人生というものは面白いものです。
友人に聞きました。「そんなにたくさんの女性と付き合って、その全てに愛があるのか?」と。
彼は答えました。「しかし女性との付き合いは楽しい。セックスは癒しを与え、その瞬間は大きな愛を与えてくれる」
1人だけに愛されれば幸福と思う人がいれば、多くの人から愛されることを幸福だと思う人もいる。
ある人は夢を語り、ある人は海外に出ることの素晴らしさを説き、ある人はヒトラーのカリスマ性の凄さを熱弁する。
18歳の子供の人生観に影響を与えるはずがなかったのです。おそらく、いくらかの人は大学1年生であろうとも自分の人生観に確固たる自信を持っている人もいるかもしれません。そういう人は他人の人生観を聞かされても、それに反論、もしくは耳を傾けたりはしないでしょう。それは間違いではなく、彼らの自信を裏付ける何かが過去にあったからこそであるし、それだけの努力をしてきたからだと思う。
だけど、僕にはそれがなかったのです。自分に自信がなかった、自分の生きているこの人生に自信がなかったのです。
「人との出会いは確実に自分を成長させる」と書きましたが、これは万人に共通するものではないと思います。例えば僕のように、自分を見失っているような人は他者が必要なわけです。自分1人で抱え込むことは、負の連鎖を産み出すだけでしかありません。悩んだ時、困ったとき、つらい時、誰かに話をしたり、聞いたりすることは確実な解決策であるし、それは自分の進むべき道を指し示してくれるものになるかもしれないのです。
大学に入学して友達ができなければ、バイトを始めればいい。それでもダメならオフ会に参加すればいいし、何かのボランティア団体に入ってもいいし。人と出会う場所を自ら創り出せば、自ずと道は開かれていきます。ゲームのように、女の子が空から降ってきたり、曲がり角で食パンくわえた女の子とぶつかるなんてことは有り得ないんです。自分が動き出さなければ何も始まらない。

食わず嫌いをせずに多くの物を吸収する

大学1年生なんてゴミです。ヒヨっ子で、何も知りません。
でも何も知らないからこそ、0の状態だからこそ、与えられればそれは自分の糧となるんです。99から100になるのは難しくとも、0から99になるのは簡単と言われているように。
僕は大学最初の年を食わず嫌いしたことで無駄にし、既存の知識に少し手を加えるだけでしかありませんでした。それは大学という場を活用していなくて、それは本さえ読んでいればできることであり、ただの趣味に近いものでしかなかったんです。
大学1年生たちに伝えたいのは、学問の広さを学んで欲しいということです。
例えば歴史学に興味がある人は、歴史学歴史学科・学部でしか学べないというわけではありません。経済学の講義でも、法律でも、様々な視点から歴史学を捉えることができます。むしろ、それこそが歴史学を学ぶことへの基本となってくるわけです。歴史学に限らず、どんなことでもそれは同じなのです。
1つのモノを取得するときは、他のモノも取得しなければならない。1つのプログラミング言語だけを理解しても次に進むことができないのと同じ。ガンダムファーストだけを観てもガンオタの会話についていけないのと同じ。

適当でもなんとかなる

留学中のことですが、多くのトラブルに悩まされました。泣かされました。学生ビザの取得、語学問題、帰国時に直撃した欧州大寒波、それに伴う飛行機欠航とフランス一泊。
それでも結構なんとかなるもんなんですよ。ただ、なんとかなるけどその分苦労はします。つらい思いを味わいます。でも苦労した分、それが後に生かされることもあります。挫折は必ず力になる。
もちろん、できることなら苦労はしたくないし、挫折なんてしたくもない。けど、その回避行動は挫折した者にしかわからないものです。俗に天才と言われる人たちだって何度も挫折している。
じゃあ挫折しなかった人は弱いのか。そんなことはないんです。挫折しない分、一生懸命努力したんです。その苦しみを味わい、そして成功を勝ち得ることができたんです。努力もせずに犠牲を払わずに、それで自分の思うようにいくわけないんです。例外なんてない。僕は断言します。

とにかく挑戦し続ける

高校時代、毎年東大京大合格者がそれなりに出ているという校風の中で僕は落ちこぼれになりました。成績は下から数えて一桁。Fラン大学にも合格できない、と教師に言われたりもしました。
そんな僕だから、おそらくそこらの大学生よりも精神年齢は低いだろうし、考え方や思考も何もかも低レベルだと思います。いつも思います。
「どうして彼らは僕よりも10歳以上年上に感じるのだろうか」
それは僕が他者よりも努力をしない10代を過ごしたから、他者よりも怠けていたから、学ぶべき時に学ばなかったから。高3のときは学校に行かず、同級生ともコミュニケーションを取らず、自分の殻に閉じ籠もるだけの日々。結局は自分の怠慢が招いた結果なのです。最も重要な時期を僕は無駄にしてしまったのです。僕は他者よりもかなり遅れた段階で大学に入学してしまっていたのです。
だからこそ、大学に入学して様々な過去を持った人々に出会い、人生観を聞き、僕は自ら動くことを決意しました。人生に挑戦することを決意しました。
僕が未だに幼稚であることは承知しています。でも少しづつ変わり始めている気はしています。やっとスタート地点に近づいてきたのだと。今、マイナス地点に立っていても、今からでも遅くないんです。他者に追いつくことだってできる。だから僕は前に進みます。進むことできっと何かが見えてくるはず。挑戦し続けることで、自分の可能性を見つけることができる。
と、めちゃくちゃ格好良く言ってるけど、言葉にするだけなら簡単なんですよ。でも言葉にするだけで終わらせてはいけない。形にさせてみます。