外国人との共同生活と日本でのコミュニケーション障害疑惑

半年ほどアイルランドでシェアフラット生活しました

アイルランドに留学中、僕は最初の2ヶ月をホームステイ、残りの半年をシェアフラットで生活していました。flatshareとも言うらしいです。どっちが正しいんだろ、僕たちはシェアフラットって言ってましたが。ゲストハウスだとか、ルームシェアとか、いろいろありますが。で、シェアフラットとはフラット(アパート)の1室を複数人で借りるというもの。僕の住んでいた場所はリビングが共有で、ベッドルームは1人1室で計4室って感じ。男女別々で借りるものもあれば、僕の場合みたいに男女共有なこともあります。

シェアフラットではいろいろな人に会いました。スペイン人を始め、フランス人、イタリア人、ドイツ人、ロシア人、ブラジル人、韓国人、中国人もちろんアイルランド人も。僕の住んでいた部屋は他の部屋に比べてリビングが広く、いつもパーティをしていました。毎週末、どこかから人がやってきてはお酒を飲んだり、踊ったり、話をしたりしました。騒ぎを聞いて、隣や上の階からも「楽しそうだね、俺も混ぜてよ」とか言いながら勝手に入ってきます。そんなこんなで、学校が違う人とも仲良くなったりしました。

居心地の良さと知らない人との共同生活

なんといっても居心地が良かったです。最初の3ヶ月はスペイン人の友人たちと住んでいました。休日はリビングで一緒に映画観たり、お酒を飲みながら下らない話をしたり。本当に楽しくて楽しくて、それまでの共同生活といえば「実家で家族と暮らす」でしかなかったので、この経験はすごく新鮮でした。日本での大学生活中はもちろん1人暮らしで、それはそれで楽しかったけどやっぱりシェアフラットの生活には勝てません。最初は、仲の良いスペイン人たちと一緒に暮らしていたので、毎日わいわいぎゃーぎゃーやってました。

んで、彼らが母国に帰っちゃうと、今度はスペイン人とかイタリア人とかフランス人がやってきたわけです。仕事のためにアイルランドに来た人もいれば、僕のように英語の勉強をするためにやってきた人もいました。彼ら・彼女たちとは初対面なわけだけど、台所とかで会うと話はしますし、一緒にテレビを観たりもしました。遠出することはなかったけどパブに一緒に行く程度ならありました。今にして思えば結構楽しくやっていたなぁと。

帰国してコミュ障になった?

最近、アイルランドで生活していた頃の積極性とかが自分から失われていくのを感じます。学校やパブで知らない人に会っても自分から話しかけていってたのに、日本に帰ってきた途端にすごく消極的になっているような気がします。その根底にはやはり、日本人のパーソナルスペースが欧州人と異なるからなのかなぁと考えています。

外国人と半年以上も共同生活していると、最初は彼らの接し方に疑問を持ちますがだんだん慣れてくるわけです。抱擁とかキスとかもう日常茶飯事レベル。パーティーで知らない人と会ってもまず抱擁、みたいな。日本では考えられないじゃないですか。男同士でも抱擁なんてしないってのに。

いくら自分が外国人かぶれしようとも、親しくない日本人相手に抱擁を求めたりキスしたりしませんよ。できません。そういう環境で20年間生きてきたわけだし、日本人はそういうものだという意識が頭の中にありますから。で、結局は相手の出方を見るようになってしまう。「あまり近づいたらダメかなぁ」とか「ここで積極的になっても引かれるかも…」とかとか。完全な受身態勢になっているわけです。

ということもあって寂しい日本生活を過ごしています。うん、寂しい。この半年で新しく出来た友達なんて、片手で数えるくらいしかいないんじゃないの?頑張って両手使っても余っちゃうくらい。いろんなことにチャレンジしている2011年だけど、受身受身な感じだから人間関係の構築には至っていません。これ、完全にコミュニケーション障害ってやつじゃん…。

コミュニケーションを上手く取れるように

だったらどのように接すればいいのか、と悩んでしまいます。今まで通り、普通に接すればいいのですがどうも感覚が掴めない。距離感がわからない。アイルランドで生活していたときは、自分の意見をガシガシ言って、すると相手もガシガシ返してきました。それはたぶん自分のことを知ってもらいたいから、だから自分の気持ちを隠さず吐き出せました。相手も同じように吐き出してくれるから、どちらかにストレスが溜まるということもあまりなかったように思えます。価値観の違いから通じ合えないときもあったけど、それは日本人同士でも同じ。

結局、相手によって自分の表現方法を変えることで、人付き合いのバランスを取っていくしかないのかなぁと思っています。本当の自分、とかなんとか中二病発想で悩んでいたときもあったけど、そんなの誰にもわからないじゃないですか。どんな態度を取ろうが、どんな性格になろうが、自分は自分なわけです。上手に人間関係を処理できるような、そんな大人になりたいです。