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古本を乗せた錆びて動かなくなったバスの思い出

15年くらい前、僕がまだ小学校低学年だった頃の話。

小学校から自宅までは徒歩10分くらい。1時間かけて歩いてきてた生徒もいたので、かなり近いほうだったと思います。途中、地下道を通って、中学校、遠足の前日に賑わう駄菓子屋を過ぎて、歩道橋を渡ると学校です。今では、地下道も駄菓子屋も歩道橋もなくなってしまい、地元に帰ると若干寂しい思いをします。

中学校の前には小さな公園がありました。そこにはなぜか古く、全体が錆びてしまっているバスが停まっていました。そのバスの中には大量の本があり、マンガや雑誌や新聞など多種多様な古本が揃っていました。捨てられているというような感じではなく、きちんと整理されていて、僕達小学生は学校が終わるといつもそのバスの中で漫画を読んだりしていました。

まるでジブリの世界に飛び込んだのではないかと思えるような、錆びたバスの本屋さん。バス全体が本で埋もれているわけではなく、隠れ場所もたくさんあったので子供にとっては格好の遊び場でした。かくれんぼを始めると、公園のいろいろな場所に隠れようとするのですが、いつのまにかバスの中で読書会が開かれていたりもしました。

しかし小学校中学年ともなると、僕達は外で遊ぶことが少なくなりました。友達の家でスーパーファミコンやプレイステーション、ニンテンドー64などテレビゲームをすることが日常になりつつあったのです。いつしか僕達はそのバスの存在も忘れ、完全に興味を失っていました。

小学校高学年くらいだったと思います。ある日突然、そのバスは公園から姿を消していました。知らせも何もなく、忽然とバスはなくなり、最初からそこには何もなかったかのような状態でした。既にそのバスで遊ばなくなって数年が経過していましたし、特に何も感じませんでした。本当にバスは存在していなかったのかもしれない、子供の頃の僕が見ていた夢の世界だったのかもしれない。

先日、たまたま小学校時代の友人と会うことがありました。変わりつつある地元の話、過去の馬鹿話、お酒を飲める歳になって、話はどんどん盛り上がっていきました。飲み始めて2時間くらい経った時、僕はバスの話を友人にしました。

「あのさ、お前、中学校の前にある公園にバスがあったの覚えてるか?」
「バス?なんだっけ?」
「ほら、本が大量にあって昔はよくそこで遊んでたじゃん」
「そうだっけなぁ。思い出せない…」
「いやいや、あれを忘れるとかないだろ。どう考えても異質だったろ。覚えてないほうがおかしいって」
「だから本当に知らないって。というか、あの公園は遊具とか何も無いし、俺たちはいつも学校のグラウンドで遊んでたし。ほら、グラウンド横で木登とか・・・」

次の日、僕は別の友人にバスのことを聞きました。しかし、彼も知らないと言います。ふざけているようには思えませんし、嘘を付くようなことでもありません。

僕は確かにあの空間で過ごしていました。この手で本に触れ、この目でバスを見て、この足で公園とバスを駆け巡りました。でもそれは僕だけが見ていた世界だったのかもしれません。だとすると、どうして本を詰め込んだ古いバスが僕の目の前に現れたのでしょうか。

僕達は常識では考えられないような不思議な体験といつも隣り合わせです。