『リアル・スティール』を観てみたよ!

久々に新宿ピカデリーにて。互いを他人同然と扱う父と子が、ロボットを通して絆を深めていく家族愛を描いたハートフル映画。と思うが、個人的にはこの映画は「定番化されつつあるロボット批判」「スポーツとしてのボクシング評価」という面が見えてきた。

ロボットにボクシングをさせるという近未来が舞台である。にも関わらず序盤等で田舎のアメリカ風景を映し出し、古き良きアメリカの姿を伝えている。この矛盾はどういう意図なのか。

随所にダコタ・ゴヨが演じるマックスとその父親のチャーリー演じるヒュー・ジャックマンとの間にある、ロボットへの価値観の違いが見受けられる。マックスはロボットにも感情があるかのように思い、対してチャーリーはロボットはあくまでも道具でしかないと捉えているのだ。もちろん、チャーリーは多額の借金を抱えており、それ故に金に執着しているからこそではあるが、ある種の子供と大人の間にあるズレのようなものを少なからず感じる。

そんなロボットに対する価値観の違いがあり、溝をなかなか埋めることのできない父と子。しかし、ロボットを介することでやがて親子の絆を確かめさせるものになっていく。終盤、ロボットの存在は完全に形骸化され、ロボット同士のボクシングというショーから人間愛溢れるドキュメンタリーチックな描写に作品内の人々も感動させることになる。ロボットは果たして必要なのか、いや、必要ない。そんな結論が見えてくるかのようなラストを描いています。

そして同時に、人間のボクシングの美しさに感動させられます。亀田興毅らのような、ある意味で既存のボクシングスタイルから外れたものは批判を受けがちです。人々は新しいものだけを求めているのではないのです。もちろん、時間が経てばそれは社会で評価され、少しづつ受け入れられていくことにはなります。新しいものを否定して古いものだけを賞賛していく論調は、いつの時代であっても存在してしまうものです。大切なのはそれをさらに否定するのではなく、良いバランスで古いものと新しいものを取り入れていくことなのではないでしょうか。