インプットとアウトプットのバランス

最近、リアルでもネットでもアウトプットする機会が減ってきました。Twitterから離れたことも原因の1つかもしれないけど、自分の言葉に自信が持てなくなってきたというのもあると思う。というのも、しっかり勉強したわけでもないのに曖昧なままで言葉を伝えることに対する疑問が日に日に強くなっているのです。いや、もちろんそれは至極当たり前のことで、ネットだけでなく現実社会においても日常茶飯事であることはわかってます。だけどネットは未来永劫と自分の発言が保存され、リアルタイムに世界中の人に読まれる可能性がある。現実と違ってリスクが大きすぎるんですよ。SNSにおける自分と他者とのコミュニケーションを振り返ってみるとつくづくそう思います。とは言っても、こんなにも有用なツールは他にはないので使わざるを得ない。

例えば読書をしたら、その本の感想を数行でもいいからブログなどに書き残す。映画も同じ。ルーズリーフ等に書いて手元に置いておくことでもいいのだけど、たぶんそれだと人によっては長くは続かない。ネット上に晒すことで、誰かに読まれるという不安と期待がモチベーションを維持させてくれると思います。反応がないとやはり書いてても微妙に感じるし、逆に自分の考えと正反対の意見が出てくると少し凹んじゃう。でも自己実現という意味だけで考えればそれで十分なわけです。外部からの刺激による自己の成長ではなく、自分で自分を成長させるように変えていくべき。

しかし、それには限界があります。やはり他人の考えや意見を踏まえてそれをも自分の糧にしていく必要性があると思います。となると、はてなブックマークといったツールは非常に有用だと思います。新聞記事等のブックマークコメントは右や左の様々な思想を持った人々が持論を展開しています。2chのまとめスレや、研究者や知識人のブログのコメント等も同じように有用です。インプットしながらもアウトプットを行えるという点で、ブログとは異なるはてなブックマークの良さがあります。情報発信者としてのブログと、提供された情報を読み解くはてなブックマークの双方を上手く活用していけば、インプットとアウトプットのバランスも良い感じになってくると思っています。なかなか難しいけど。

アウトプットすることを辞めたら人間ダメになりそう。物事をインプットするだけではそれにも限界があって、古いものは徐々に新たにインプットされたものに上書きされていくと思っています。だからこそアウトプットすることでインプットしたものを消さないようにしなければならない。

っで何が言いたいのかというと、インプットは幅広くなるべく多くの量を、アウトプットはそうしてインプットしたものを再構成していく、ということ。今の社会を見ればわかるけど、なんだかんだ言ってもアウトプット重視な社会になっていると思うのです。いわゆる成果主義。インプットしているだけというのは外部からはそれが本当に価値のあるものなのかどうかわからないわけです。だからこそアウトプットが求められる。けれどアウトプットはインプットがなければ十分なアウトプットは得られない。

インプットもアウトプットもどちらも重要だし、どちらも蔑ろにできない。これが僕の言いたいことです。要するにバランスが大事。敢えて言うなればやはりアウトプット重視だとは思うけど、その基本材料には適切なインプットも必要ということなわけです。