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アムアイ日本人?

日本における外国人への入国審査の話を聞いたことあります?以前、スイス人の友人(スイス君)が日本人の友人(日本君)と一緒に日本に来たのです。日本君は余裕で入国審査をパス。パスポート見せればいいだけですからね。余裕すぎて笑えてきます。しかしスイス君は数十分経っても出てこない。日本君が様子を見に行くと、入国審査官に日本語であーだこーだ言われて焦っているスイス君の姿が。結局、日本君が手助けをしてなんとかパスできたものの、2人はその対応に少し怒ったのでした。

うーん、どうなんだろうこれ?たしかに、入国審査そのものは現地の言葉で行われることが多い気がする。といっても、何か聞かれることもなくてパスポートを見せればおkでした。フランスの入国審査なんかは英語で対応してくれたし。トラブルが多発する入国審査、せめて英語での対応をしてくれればいいのに、とは思います。日本に来るんだったら日本語喋ろよ!ってことなの?

まぁでもどこもかしこも英語ってのはなぁ。というか、そもそも言語って何のためにあるのさ。

コミュニケーションツールとしての言語

グローバリゼーションやら国際化やら、ここ数十年にいろいろと言われてきて英語が世界を覆うような存在になりつつあります。海外旅行などで入国審査をパスするときも大体英語。空港やホテルで困っても英語使えば余裕で切り抜けられる。これは僕の実体験でもあります。その時ばかりは、英語の力ってすげぇ、とか思ってました。そんでもって、旅行先で困っても英語を話せばいくらかの人は対応してくれる。おばちゃんやおじちゃんには通じなかったりするけど、街を歩く人が全員そういうわけではありません。

英語が話せれば確かに海外生活が非常に便利になります。でもそれは便利になるだけで、特段困るほどのことでもない。英語が全く喋れなかった僕でも今こうして生きているわけです。アクシデントに見舞われることも幾度かあったけど、正直言えばなんとかなってしまう。そう、英語が使えなくてもなんとかなっちゃうもんなんです。

というように、利便的なコミュニケーションツールとしての英語は重宝するけど、必要不可欠なものでもないわけ。少しくらい話せたら便利かなぁ、とかそれくらい。といっても、それはあくまでも日常生活レベルであって、ビジネスなどの場面ではそういうわけにもいかない。とまぁそれは海外であっても国内であっても同じことだけど。例えば日本語が喋れない人が就活して面接を受けたとしても、そこが国際的な会社で外国人を多く起用している以外では、ハッキリ言って門前払い確実です。いや、完全に相手にされないかどうかはわからないけども。でも面接官が日本語しか理解できないような人だったらもうダメですよね。

言語というのはそういったように、より複雑で的確なコミュニケーションを取る場合に重要になるのです。

アイデンティティ形成としての言語

僕はたぶん日本人の枠組みに入る人間です。たぶんね。もちろん国籍は日本人だし、「Are you Japanese?」と聞かれれば「おう!日本人だ!」と答えると思います。でもそんなのはただの飾り。別に何人だっていいじゃない。そんなのどうでもいい。なんだかんだ言っても日本にも多くの外国人が住んでいますし、彼らと自分たちとを区別することはとても無意味でバカバカしいことだと思う。・・・まぁ政治やらそういったものが絡むとまたややこしくなるけど、それはスルーで。

でだ、日本で生まれて日本で教育を受けた人は、おそらく大多数が日本語を話すことができます。すなわち、第一言語は日本語なわけ。日本はこの日本語の勢力が圧倒的になっています。だから、日本語を理解できない人に対する風当たりが強くなってくる。「えー、日本語喋れないのー?ださーい。日本語が喋れないのが許されるのは赤ちゃんまでだよねー」なんて感じ。

まぁでもアイヌ語なんてものも日本にはあったりする。現在、アイヌ語をネイティブ言語としている人の数は限りなく少ない。ほとんど消滅しているに等しいのです。そんなアイヌ語をどうにかして復興させようと、例えばラジオ番組だったりアイヌ語大会なんてのも開催されています。それでもアイヌ語の普及はかなり難しいものがあります。で、アイヌ人は何を持って自分をアイヌ人と定義しているのか、です。正直な所、アイヌ人の方と会話したことがないのでわかりません。

ここでニュージーランドのマオリ族を見てみる。以前、マオリ族の方とお話をしたときに聞いたことですが、マオリ族にとってマオリの言語や文化は自分たちマオリ族としての存続に非常に重要なものである、とおっしゃっていました。実際、マオリ族独特の歓迎を受けたり、マオリ族としての誇りを様々な形で提供してもらいました。マオリ族にとって言語はその内の1つであって、自分たちが何者であるかということを指し示す物となっているわけです。

多くの日本人にとっても同じで、日本語は自分たちを定義させるツールとなっています。海外に行くと、「え?お前は日本人か?だったら俺の名前を日本語で書いてくれよ!」とか言われたりする。日本人とは日本語を扱う国民である、と世界的にも思われている。それは日本における第一言語が日本語であり、また日本国内全体を見てもその話者数が圧倒的な数で存在しているから。且つ、世界的に見ても日本語を第一言語として扱っている国家は日本のみ。そうなってくると日本人は日本語に誇りを持つようになる。結果、日本語が日本人としてのアイデンティティを形成させていくわけです。

言語は自分たちが何人なのかを定義するツールとして扱うことができる。

言語は生きていく上でとてもとてもとっても必要なもの

でも、言語も進化していくのではないかなぁと思います、歴史が示すようにね。今は英語が世界共通語みたいになっているけど、それもいつかは変わるかもしれない。それに、世界を見れば言語の数は3000前後あって、それぞれに話者が存在している。世界人口70億人を3000に分けられますか?まるで血液型占いみたいですね。