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“I Have a Dream”から50年 今も変わらず残る人種差別問題

時事

100年前、偉大なるアメリカ人が奴隷解放令を発布しました。(中略)ところが、100年たっても、黒人には自由がないという悲しい現実に直面しています。

1963年8月28日、公民権を求めるワシントン大行進にて、リンカーン記念堂前階段で開催された野外集会で、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアいわゆるキング牧師による演説の冒頭です。それから50年。未だに黒人には自由がありません。自由がない、と言うと私たちがテレビや映画を通してでしか見ることができないアフリカ系アメリカ人(以下黒人)像からするとあまりピンとこないかもしれません。2008年のアメリカ大統領選挙で勝利を得たバラック・オバマや、サミュエル・L・ジャクソンモーガン・フリーマンといった有名な黒人俳優など、日本人が「アメリカでの黒人差別はもうなくなったのではないか」と思ってしまうのも当然なのかもしれません。

それはアメリカ国内でも同様の事象となっています。彼らの多く(特に白人)は、「オバマが大統領に就任したように、アメリカには白人と黒人の間に差異なんて存在しない」と捉えているのです。人種差別はもう撤廃された、だから社会の中で黒人を優遇する必要はない、と。

消えない人種概念と人種差別

でも決してそんなことはありません。それは単に人種差別を見ない、もしくは見ようとしないといういわゆるカラーブラインドな価値観の上に成り立っているものです。確かに200年前、奴隷として心身の自由を拘束されていた時代からは大きな変化を遂げていると思います。徹底的に社会から排除され、暴力をもって悲惨な差別をし、似非科学的に黒人が白人よりも劣っていると民衆に教え、人として見られることがなかったかつての黒人。これを持って、黒人は自由を勝ち得たと言われても、人によっては疑うことなくすんなりとその意見を受け入れると思います。でも違います。もう一度言います、人種差別は何一つ解決していません。

例えば、白人と黒人は同じスタートラインに立つことができている、後はそれからの努力次第である、と一部の人々は言います。しかし、未だにアメリカにおける貧困層の多くを占めているのは黒人です。彼らは非常に劣悪な環境下で、社会参加から切り離され、「自己責任」の価値観によって政治的対策などから無視されています。これを見ても両者が同じスタートラインに立っていると言えるでしょうか。

こういうことを言うと「黒人の中にも経済的成功者はいる。貧困な白人だっている。だから、現在貧しい黒人たちはやはり努力が足りないだけである」と反論する人もいます。しかし、貧困率の中で黒人世帯が占める割合は4分の1以上、白人は10%を切っています。数の上で圧倒的であるにも関わらず、それでも自己責任というだけで問題を注視しないというのは明らかにおかしいことです。

さらに、記憶にも新しいフロリダ州黒人少年射殺事件における白人加害者の無罪判決。もしもこれが黒人による白人少年射殺事件であれば間違いなく有罪判決だったでしょう。司法の場では未だに人種間の溝が存在し、それが公然と行われている事実。今回の事件に限らずこういったことはここ数年の間に何度も起こっています。これでもまだアメリカ社会の中から人種差別はなくなったと言えるでしょうか。

これについても、「黒人が白人を殺害する事件のほうが逆の立場より多い。黒人は危険だ」などと言います。それを言うのであれば、なぜ黒人は犯罪をしなければならないのか、についてもっと真剣に考えていくべきなのです。黒人を社会の異端児として見ることを避けてきた人が、こういった事件が起こると嬉々として反論したがる。なんて滑稽なのでしょう。

歴史と向き合う

キング牧師の夢は達成されたのか。それは各々の判断に任せたいと思います。ただ言いたいことは、正面から問題に向かい合わず、問題が解決したと勝手に判断し、その問題から目を逸らしているだけでは、根本的な問題解決と、問題そのものを忘れ去ってしまうということです。忘れ去られた歴史は、誰の目にも触れることがなく、いつしかそれが普遍的な価値観として人々に浸透されていきます。差別が肯定されていくのです。

19世紀の偉大な奴隷制廃止運動家であるフレデリック・ダグラスは、しかしその功績が社会に認知されるようになったのは第二次大戦後のことでした。これについて、20世紀の偉大な公民権運動家のW・E・B・デュボイスは以下のように述べました。

白人世界で黒人であることは、単に個人としての侮辱や機会の欠如だけを意味するものではなく、このような不利な条件のもとで黒人がどれほど偉大なことを成し遂げようとも、それが未来世界から抹殺されるのが常であるということを意味している。というのは、黒人の行為を記録する歴史がないからである。

日本人が世界史を学ぶ意義

では、私たちに何ができるのでしょうか。歴史を紡いでいくのは人そのものです。そこには、生物学的にも存在すらしない人種という概念や国籍や民族など、そんなものは必要ないのです。私たちがアメリカの歴史や社会を学ぼうが、アメリカ人が日本の歴史や社会を学ぼうが、そこから導き出される結論に差異などなく、むしろ知識の社会的共有として非常に有益であり、尚且つグローバリゼーションの今日において必要不可欠なものであるのです。

知らないことは恥ずかしいことではありませんが、知ろうとしないことは恥ずかしいことだと思います。

参考文献

荒このみ編訳『アメリカの黒人演説集』(岩波文庫、2008年)
本田創造『アメリカ黒人の歴史』(岩波書店、1991年)