人生は一枚の葉っぱのようだ

ここだけの話、大学の講義をサボって家でボーっとしてる人は結構います
そして俺もその一人w
そんな俺がなぜ編入を目指しているのか
なぜ大学院進学を考えているのか



珍しく俺が親に弱気なことなどを相談したりするといつもこう言われる
「自分の目指すことがあるならそれに向かっていくしかないだろ」
以前までは納得がいかなかったこの言葉
でもそれしかないのかなと思う最近

他人だろうが身内だろうがどんな人でも信用できる人はどのくらいいるのだろうか
人が信じれないようになった高3の頃から感じていた
信用できる人なんているのか

でも自分を信じることはできる、今の俺でも
他人なんて関係ない
自分の信じること、それが自分にとって正しいこと
それは全ての事柄に共通しているのか
世間一般的に悪と言われることでも自分が正しいと思えばそれは正義なのか
歴代の各国の革命者はどう考えていたのだろうか

周りを冷静に確認することができずにただ突っ走り
例えそれが悪だとしても突き進むことが正義だと思い
それが許される、いや、それを自分の中で許すことができるのが学生の特権なのか

悪とか正義とか、そんなのは時代によってしばしば違いが見られる
だからこそ、自分が正しいと思うことを正義と考えなければ進むことはできない
そうやって歴史は繰り返されて今がある
法律というものができて歴史は止まったかのように思えるが、それでも歴史は続いた
縛られるものがあろうとも人は突き進んでいくことができる力がある
それは人間だけに限らずに動物も一緒だ

何も考えていないと進むことはできない
進んでいるように見せかけて実は永久ループしているだけだ
夢を持つということは未来へ進むためのエネルギーとなる
その気持ちが弱かろうが強かろうが、前を見ることはできている証拠
進むという行動の前に、前を見るという行動をするべきなのだ
それができて人は一歩ずつ進むことができるようになる

それから先、順調に進んでいくかどうかは人それぞれ
ただ一つ言えることは、どの方向に進んでも良いということ
進んだ先が間違えであったとしてもそこからまた別の方向へ進めるのだ

「人は生まれてから死ぬまで一本の線で結ばれている」
でもその一本はクネクネした、そうまるで一枚の葉っぱのよう
いろんなところで分かれ道が存在しているのだ
どの道を選んでも最後は死で終わる

どの道を選ぶかは自分で決めるべきこと