中学数学の成績はかなり良かったです

真面目に講義に出てる日々です
忙しいですw
そうなるとこのブログの更新頻度も低くなるわけでして

最近はあれですか・・・
GeForce 8800GTの売れすぎだとか
メモリ価格下落が止まらないだとか
Penryn発売だとか
すさまじいラッシュですことw
でもPCパーツってのはこんな感じなのでしょうね



なんだか、以前のように自分を考えることが少なくなってきた
時間の余裕がないから?
いや、心に余裕ができたからだろうか
些細なことでも深く考えようとしていた今までの自分

自分は他人とは違うのだ!
こう思うのは一般的なのでしょうか
だと思います
そうやって自分の存在を周りに示す
そうゆうことでしか自分の存在を認めることができないから、だろうか
上記のようなことを考える人は成長すると次にこう考える
普通ではいけないのか

俺は自分が普通でない、どこか特別な人間だろうと思っていた
隣に座っている人、前に座っている人、どんな人よりも自分は違うのだと感じていた
今思えばなんと馬鹿馬鹿しいことだ、と思う
でもそれはおかしなことではないのかもしれない
自分は特別なのだと自分に言い聞かせることで生きている意味を答えていた
こんな奴は挫折したときの絶望感をすごく感じる
自分は特別ではなかった・・・と思って

普通でもいいのだと感じ始めたのは、恥ずかしながら最近のことだ
大学に入学して変わった人に出会ったりして・・・

特別であることが普通であることよりも幸せなのか
断じて否、しかし、どちらも幸せであるといえる
幸せの定義なんてない
幸せだと思ったら、それは幸せなのだと
たとえ周りから見れば不幸な人に見えてもその人が幸せだと思えばそれは幸せである

物の見方によって、時に言葉は逆の意味を持つということ
必ず答えがある算数という学問とすべてがそうではない数学という学問

私は算数が嫌いだ

そして私が大人になれない理由
答えがないということに疑問を感じ、前に進もうとしなかった高校時代だったから