「楽しい」だけが本当の「楽しい」ではない

22歳になって、初めて「働く」ということに触れていろいろと考えさせられることが多い今日この頃です。もちろん、以前にもアルバイトはしていたのですが、非接客業の週1の3時間勤務だったので、その会社で「働いている」という実感はほとんどありませんでした。

悲観していただけの過去の自分

僕はこれまで「楽しく、楽に働く」ことが最大限の幸福を産み出すと本気で考えていました。それも当然のこと。実の姉の話や、ネット上(笑)での話などを聞き、日本の労働社会に対して違和感を覚えるのは必然だったからです。姉は仕事で精神的に追い詰められて、欝に近い状態になってしまうまで自分を苦しめました。

サービス残業、お客様至上主義、年功序列、新卒採用主義、終身雇用・・・こういう実態を知り、僕は海外に行きました。語学留学なので、実際には海外における「労働」を学ぶことはありませんでした。しかし、日本とのサービスの差に驚嘆し、世界的に見ればサービスの質が高ければ良い、ということではないことを知りました。

日本は戦後、高度経済成長を経験し、世界の中における経済大国としての名を欲しいままにしました。敗戦というどん底から這い上がってきた日本はその過程で、質と量を同時に向上させていったのです。その結果、日本の技術力と生産力は世界のトップまでのし上がったわけです。一度トップになったからには、それから質と量を下げるわけにはいきません。さらに、中国などの国家の登場によってさらに日本はサービスというものを向上させ始めました。

そうした質、量、サービスを支えているのは言わずもがな、労働者です。その労働者にかかる負担は計り知れないものになっていると思います。しかし、それらを下げてしまうことはすなわち日本の経済を衰退させることになる。日本は負の連鎖の中に陥ってしまったわけです。だったら海外に出よう!

・・・というのが今までの僕でした。日本はもうダメだ、という悲観論者でしかありませんでした。

でも働きたい

そして、僕は某巨大チェーン店にてアルバイトを始めました。毎日のように店長に叱られ、怒鳴られ、人格否定され。涙を流したくなるようなことが何度も何度もありました。ストレスから体調不良になって、病院では高血圧と診断され、鼻血が頻繁に出るようになり、過労で倒れそうになったこともありました。辞めてやろう、そう考えなかった日は今までありません。

でもまだ続けています。むしろ、まだまだ続けたいとも思っています。

なぜか。僕は仕事が楽しいと思っているからです。自分の手によって社会が回っているのを実感しているからです。社会人から言わせてみれば、たかがアルバイトのくせに、かもしれません。それでも、こうして僕のように学生アルバイトが社会の一部になっているのは事実なのです。そして、その実感は「楽しい」へと僕の中で変化しました。

辛くなくて、楽で、楽しい仕事。そんなものがあって、仮に僕がその仕事をしたとしても、きっと僕自身はずっと同じ僕でしかないと思います。つまり、人間的に成長なんて絶対にしない。ダラけた、何の刺激もない退屈な生活の一部として、面白くない人間に成長してしまう。

みんなちがってみんないい

「楽しい」だけが本当の「楽しい」ではない。

とあるテレビ番組で保育士の仕事をした某芸人の言葉です。そう、「楽しい」にはいろんな「楽しい」があるんです。仕事を「楽しい」と思う人もいるんです。奴隷のように働かされて、それが苦痛で自分を自殺に追い込んでしまう人もいれば、それを楽しく思い生き甲斐を感じている人もいるんです。どちらも間違っていないし、どちらが正しいかなんて決められません。だから、他人の生き方を否定することなんてできないんです。

「そんなに企業に奴隷のように働かされて、自分の時間も全て奪われて、それで人生楽しいの?」

そんなの愚問です。そう質問する人にはその人の価値観があって、その質問に「楽しい」と答える人にはその人の価値観があるのです。全ての人が全て同じ価値観なんて持っているわけないんです。いろんな価値観、いろんな生き方があるからこそ、人は面白い。楽しい。

高校を卒業して、東京に来て世間の広さと同時に狭さを知り、編入学試験を通して大学や学問を知り、留学で生きることの楽しさを知り、今回のアルバイトで仕事の楽しさを知りました。高校時代までの自分の価値観を尽く踏みつぶしてきたこの4年間、そして5年目。僕はこれからどんなことを学んでいくのだろう。楽しみで楽しみで仕方ありません。