2011年が終わると聞いて飛んできました

その年を振り返る、というのはとても大切なことだと思います。文字にしようが、心のなかだけで反省しようが、とにかく1年を思い返して振り返ることはこれから先の自分を考える上でも必要不可欠なことなのです。せっかくこのように自分の思いやその他諸々を自由に吐き出すことのできる場があるので、1年後、10年後の自分へのメッセージとしても書き残しておく。

自分にとっての2011年は、やはり2010年の留学が切っても切り離せない存在になりました。それだけ2010年という1年は一生の宝物になるくらいの圧倒的存在感があったわけです。たった22年しか生きていませんが、2010年は人生で1番楽しくて、刺激的で、多くのものを得ることのできた1年だったと思います。

帰国後、2011年になってからその呪縛はいつまでも自分を縛り続けました。毎日が新鮮で、楽しかった留学生活と比べるとどうしても日本での生活が退屈に感じてしまうのです。最初はずっと毎日をダラダラと過ごしていました。文字通り、何もしていませんでした。バイトを探すわけでもなく、生産性のある物事をしていたわけではなく、一般的に言われるニートと何ら変りない生活を過ごしていました。

そんな時に起こったのが、3月11日の地震、東日本大震災です。阪神淡路大震災地下鉄サリン事件、世界同時多発テロと、全ての事件をリアルタイムで見てきたわけですが、1995年なんて自分は6歳です。2001年は12歳です。感受性が豊かではなく、なんとなく人が死んだり、世界が変わっていく様子を観ていました。しかし、まだまだ精神的に幼いとは言え22歳です。社会的には成人した大人です。非常に大きな衝撃を受けました。

地震発生後、1週間はまともに食事が出来ず、何もやる気が起きませんでした。ただただテレビを観て、死者の数が増えていくのを見て、津波の映像を観て、涙を流すしかありませんでした。自分の中にあった固定観念が音を立てて崩れ落ちていくのを感じました。自分の無力さを憎みました。

4月になり、大学が始まるとようやく落ち着きを取り戻しましたが、ゼミの先輩が被災地で行方不明になっていることを知り、また絶望しました。でも「自分にできること、自分がしなければいけないことを一生懸命することが彼に報いる唯一の方法」と思い、まずは自分の身の回りを固めようと思いました。

大学1年時以来のアルバイトは想像していた以上のつらさでした。オーナーに毎回のように怒鳴られ、バイトの時間が近くなるといつも胃を痛めていました。体重は減り、血圧も上昇し、睡眠不足とストレスで心身ともに疲れきっていました。お金を貰うということの大変さ、社会の厳しさ、たかがバイトにすぎないと社会人や世間からは笑われそうですが、身に染みて感じました。

その頃、高校の同級生の結婚式がありました。つい数年前まで一緒に馬鹿やって遊んでいた友人が、いつの間にか父親になっていました。人を愛し、人のために生きている彼の姿は美しくもありました。結婚は人生の墓場、と人は言いますがそれを受け入れ、そしてそれを幸せに思っている彼は素敵でした。

でもそんな彼を見ても、バイトで社会の残酷さを知っても、震災で心を傷付けても、今の自分は結局何も変わっていません。友人の結婚式以降、バイトと大学を行き来するだけのある意味で安定した生活を過ごしました。何一つ変わっていない、1cmも前に進んでいない自分が今ここにいます。2011年は何だったのか、自分自身に問いかけます。返ってくる答えは非常に悲しいものです。

「まるで成長していない」

夢や理想を口にするだけで何も実行せず、完璧主義のくせに結果を何一つ残していない。2010年、物事に挑戦し続ける気持ちを持つことの素晴らしさを知ったはずなのに、挑戦するどころか逃げてばかりでした。

2012年、大学院へと進学します。大学入学、編入学、留学に続く自分の転換期がきました。思えば高校卒業以降、1年毎にこの転換期がやってきています。転換期の間にある閉塞期はもう過ぎました。来年はもう1段階、自分自身を変化させるチャンスだと思って1日1日を大切に過ごしていこうと思います。