カレーの話 Part2 「食の植民地主義」

食の植民地主義、というものがあります。社会・政治哲学やフェミニスト理論を研究するウマ・ナーラーヤンは著作『文化を転移させる』のなかで、西洋人による食の植民地主義について論じている。西洋人はエスニック料理を何も考えずに受動的に食し、その背景にある食の生産や消費に関する物質的、政治的リアリティーを欠如させているという。

エスニック料理、例えばカレーになるけど、西洋人はカレーを「エキゾチック」だから食していて、自分たちの威信や洗練度を高めるためにそれらの食を搾取しているともいう。なるほど、要するに西洋人にとってのエスニック料理とは、文化的文脈を一切持たず、ただ「エスニックを食べている」だけでしかないということか。

実際、そうしたエスニック料理を自ら作るということはあまりない。そして、その料理を提供する国の歴史や文化を学ぼう、という気持ちを持って食べることはなくて、ただ「物珍しい」という理由で食べる人がほとんどだと思う。ある意味、自文化中心主義的な思考が読み取れると思います。

で、カレーの話に戻るけど、日本のカレーもインドのカレーとは似て非なるものなんですよね。僕は実際にインドのカレーを食べたことはないのだけど、それは社会的にも周知の事実で日本の「カレーライス」は既に日本独自のものとなっているわけです。それというのは、インドのカレーを日本人に合うよう変化させて、新たに作り上げた食文化ということ。これはウマ・ナーラーヤンが述べる食の植民地主義ということになるの?

といっても、「日本のカレーはインドとは別のもの」ということが一般的な認識のため、インド料理を食べている、とは考えなくなっています。日本のカレーは日本で独自に進化、改良されていったものである、と。だから、カレーを食べるなら某カレーチェーン店に、インドのカレーが食べたければインド料理レストランに行くわけです。完全に独立されたものなんですよね。どうしてここまで分離していったのか、ですが、日本に洋食が取り入れられて一般大衆に受け入れ始められたのが大正時代であり、日本と洋食の関係は既に100年以上経過しているわけです。100年もあれば日本にマッチした洋食が浸透するのも当然のことであって、さらに言うと日本の食文化の特異性が洋食を変化させる原因になったとも言える。

逆に考えてみよう。日本の料理、例えば寿司ですが、今では世界のほとんどの場所で食べることができます。アイルランドの小さな街でも食べれたし、実際に現地の人に受け入れられています。寿司はグローバル化を成功させているわけです。その日本の寿司を変化させたものの代表例が、ご存知カリフォルニアロール。これは、生の魚介類に慣れていないアメリカ人に対して食べやすいように開発されたと言われますが、最初は日本ではカリフォルニアロールに幾分抵抗があったという。今では一般的になったけども。

となるとです、輸入、輸出された食文化がその地に合ったよう変化していくことは決して悪いことではないし、双方の食文化理解へと繋がることにもなる。食の植民地主義はすごく極論的だと思う。デイリーポータルZのライターである、ほそいあや氏はよくゲテモノ料理を食べる記事を書いて有名だけど、彼女はその料理を「ゲテモノだから」という理由で食べているわけではないように思える。その料理を真剣に食べているだろうし、しっかりと評価することもできる。尊敬します。

まぁでも、料理ってのは食べるだけじゃなくて、その料理について学ぶことも大切なのは事実。どうしてこの料理はこの土地で食べられているのか、この料理に使われているこの材料はどこで生産されているのか、この料理はどのような歴史を辿ってきたのか。それらを学べば、食文化だけではなく幅広い文化や国の歴史を学ぶことができるし、文化理解にも繋がる。料理ってすごい。

たまには日本のカレーだけじゃなくてインドのカレーを食べるのもいいかもですね。