割れるだけが卵の未来ではない

従うことは、従わせる者が従う者よりも上位に位置する存在であることを意味します。そして明らかなのは、従う者が大多数を占めているということです。

従う者はどんなに理不尽なことであっても、どんなに厳しい状況であっても、従わせる者に従わなければならない。それが現実です。従うことを拒絶してしまえば、従わせる者からの攻撃を受けてしまいます。あくまでも、従う者はヒエラルキーの中で最も下位なのです。

言い方を変えてみましょう。村上春樹の言葉を借りれば、従う者は虐げられる者であり、つまり卵。従わせる者は支配的で力を持つ壁、システム。卵を壁に投げつけると割れてしまうように、また卵が壁を乗り越えて別の方向へ向かったとしても割れてしまうように、どんなに努力しても卵は壁によってその行く先を防がれてしまいます。

しかし、割れてしまうことだけが卵の存在意義ではありません。卵は生物を生み出し、そしてその先に続く種の繁栄を導くものでもあります。だから自ら割れていくべきではない。未来へ続く可能性を持つ卵は、壁によってただ支配されるだけの道を歩むべきではない。そして、もしも壁を乗り越えることができたのであれば、その壁は大きな味方になってくれるのかもしれない。だからといって、乗り越えた壁と共に残された卵に立ちはだかるだけでは何も変わらない。

卵には可能性がある。卵には様々な生き方がある、様々な道がある。