母の余命はあと数年
という話を昨年の夏に父親から聞いた。あまり動揺はしなかった。というよりも実感がなかった。
それは半年経った今でも変わらない。医学も進歩してきたし大丈夫だろう、と。専門家でもないのに、根拠も無いのに、ただただ楽観視していた。考えないようにしていた、というのもある。むしろそれだ。酒に逃げて、エンタメの消化に逃げて、仕事に逃げて。そんな日々を過ごしていた。
でも、ふと、向き合うべきではないかと思うようになった。逃げられない問題なのだと、ようやく理解できたとも言える。
その話を聞いた頃は大きな仕事を終えたばかりで、いろいろと一段落ついたこともあって転職活動を開始していた時だった。 母のことがあったものの、転職活動は続けて、秋から新しい会社で働くことになった。
夏の暑さが残る頃、前職の有給消化も兼ねて実家に帰省した。関東から実家までの往復の旅路を楽しむことがメインで、母を想う気持ちは無かったと思う。いや、少しはあったはずだと信じたい。 高校卒業後に家を出て、実家に帰ることが少なくなっていた。だから、実家に帰ることで、自分の顔を見せることで、それで十分なのだと自分の行動を正当化していた。 結果、無為な時間を過ごして別れの挨拶も適当に、普段の日々に戻っていった。いや、逃げたのだ。 もっと違う接し方ができたはずだ。両親の気持ちにより寄り添えたはずだ。両親は私のことを常に気にかけ、見守ってくれていたのに、私はそれに気付けていなかった。
正直言って、両親との接し方がよくわからなくなっていたというのもある。故に、雑な態度を取っても許されると思っていた。それが親への甘えだったのだと気付いたのはここ数日のこと。自身の精神的な未熟さにも気付かされた、恥ずかしい。
でも、気付けて良かった。今、気付けて良かった。これは間違いない。ちゃんと話そう。母と話そう。
体調はどう? お酒を飲んでもいいの?生ものを食べてもいいの? 何かしてほしいことはある?欲しいものはある?
でも、できるだろうか。
いや、そうじゃない。やらないとだめだ。でないと、絶対に後悔することになる。いつもいつも後悔ばかりの人生だけど、これだけはだめだ。だめなんだ。恥も外聞も捨てろ。