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勉強をすること

サークルを辞め、バイトも辞めて、大学生活を犠牲にし勉強してたこの1年間。
とりあえず希望の大学に合格したので『勉強』について今一度考えてみようと思う。

そもそも、自分が再び大学受験を考えたのはなぜか。学歴コンプレックス、これが一番大きな理由なのは確かだと思う。同級生は国公立や有名私立に合格していくなかで、自分は文系私立。皆に見下されるようなことはなかったものの、心のどこかで、自分は他の人から見れば負け組なのだ、と考えるようになっていた。現在の在籍大学に入学し、自身の大学に対して自虐的(ウチの大学はどうせFランだからね、など)考える人に多く会い、ますます自分のなかで学歴コンプレックスが強くなっていった。

受験勉強を始めて、大学院博士課程で文化人類学を研究なさってた先生に出会った。この先生と接する時間は非常に少なかったが、得るものは多かった。それは知識というものだけでなく、私の『勉強』に対する意欲をもだった。今まで興味のなかった哲学や文化人類学といったような学問に興味を持つようになり、さらに様々な学問分野を学びたいと思うようになっていった。いつしか、学歴コンプレックスが理由で受験しようと思っていた気持ちは、本当に勉強がしたいから受験をする、というように考えが変わっていた。

果たして、本当にそうなのだろうか。

勉強ができる=素晴らしい人間、という方程式が私の頭の中で成立してしまっているのではないか。学歴コンプレックスというものが未だ自分の中に残っているのだ。私は勉強がしたいわけではないのか。勉強がしたい、と思うことよって自分は勉強ができると思い込むことができるのではないか。だから私は、勉強がしたい、と言い続けているのだろうか。もちろん、勉強ができるだけで良い人間といえるわけではない。それは十分承知の上だが、私の心がそれを拒む。学歴コンプレックスを認めたくないのだ。

ただ一つ言えることは、『勉強』は決して不必要なものではないということだ。確かに、知識そのものは不必要なものだといえるかもしれないが、『勉強をすること』は必ず後に自分の糧となる。大切なのは、知識を蓄えることではなく、『勉強をすること』なのである。知識は後からいくらでも蓄えることができる。まずは、それを蓄えられるように自分を鍛えることから始めるべきなのだ。

私は考える。学歴コンプレックスをなくすことはできない、むしろそれを素直に認め、勉強したいと謙虚に思い続けることで自分の進むべき道、進みたい道を見つけていこうと。